朝のお説教 第21回

2003年5月13日(火曜日)
テーマ:
朝のお説教の時間です。
今日は、親子に 登場して いただきます。
もうすでに、診察場面で 同じ話を した方も たくさん 居る のでは ないかなと 
思いますが、面白い話なので 解説して みたいと 思います。
実際に 私が 体験した 話です。
登場人物は、難波 駿斗(なんばすると)くん15歳。
      難波 優香(なんばゆうか)さん41歳。この二人です。

もう15年 ぐらい前、私が 大学病院で 当直していた ときです。
救急外来から 電話が あり、
15歳の 少年が 手首を 切って 連れて 来られていると 報告されました。
いって みると すでに、少年は、外科の 先生が 傷の 処置を してる 最中でした。
そうかと思い、お母さんに 話を うかがおうと しました。
精神科の 医師で あることを 告げ、事情を うかがいたいと 話しました。
   わたし・・・・・なんで こんな事 したんで しょうね?
   なんばゆうか・・ナイフで でしょ。
と、あっさり 返事を されました。
あぁ、表現が まずかったから 誤解されたな と 思い、言い換えました。
   わたし・・・・・どうして こんな事 したんで しょうね?
   なんばゆうか・・こうして でしょ。
お母さんは そういって、手首を 切る 動作を しました。      
わたしは、奇妙な 顔を していたと 思います。
おかあさんは、もっと 怪訝(けげん)そうな 顔で こちらを 見てました。
「何が 分からない んだろう??」というような 表情でした。
「あっ、そうなの」と心で おもい もう話を うかがうのを やめました。

出来事は これだけです。
文法は あってるのですが、意味が 違う のです。
これでは、なんばすると くんは、死にたくなる かなと 感じました。
お母さんに、心が 通じない はず ですから。

この話の 問題点 分かります よね。
『文法は 合ってても、意味が違う。』
ここがポイントです。
この話の ように ひどいことは 滅多に ありませんが、
結構 取り違いは あります。
普通は その 間違いを 意識して いますので、
「間違えてないかな?」と いつも 気にして 会話を するもの です。
このお母さんのように、確信を 持って 間違って いると
悲劇が 生まれます。
人格障害(アダルトチルドレン)と 呼ばれる ような 人たちが、出来上がる 可能性が 高い のです。

この結構 変わった 発想の 取り方は、本人が 意識して
「自分は 違う 取り方を しやすい」ということを 分かっていると、
問題は 起こりません。
かえって、柔軟な 発想なので 天才的 ひらめきを 生む事も 多いのです。

物事の 取り方は、遺伝子による ところが 大きいのです。
同じ 出来事に 対して それぞれ 固有の 「反応の仕方」「判断の仕方」が あります。
それは、良いこと なのです。
ただ 人によって「表現の仕方」「受け取り方」が 違います ので、
「一回で、すぐに 話が 分かっては いけない」のです。
「こういう 事を 言ってるんだ」と判断して、それで 考えるのを 終了しては いけません。
「間違えて ないかな?」と いつも 考えていて ください。

難波 駿斗(なんばすると)くんは、今は もう30歳の はず。
どんな 人生を 送って いるのか 心配です。

明日は、少し 明るく なれる人に 登場して いただこうと 思って います。
今賀 万大(いま がまんだい)さんと 今賀はな(いまがはな)さんの
おまごさんの、今賀 一番(いまがいちばん)くんが、出てきます。
確か今は、20歳のはず。
お楽しみに!!!

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